高校生坐禅体験の時のお話 ― 2025年04月17日
こんばんわ
今日の坐禅体験はいかがでしたか?
坐禅を初めてした人は、どのくらいいますか?手をあげてみてください。
ありがとうございます。初めての体験というのは、とても、緊張してしまうものです。坐禅は、ただ、座って瞑想するものですが、坐禅を始めたときは、気持ちがざわついていることに気が付きましたか?それが、時間がたつにつれ、静寂した空気が、気になります。そして、自分の呼吸に気が付いてきます。皆さんは、当たり前に呼吸をしていますよね。呼吸をしなければ、苦しくなって、死んでしまいます。
坐禅は、そういったことに気が付くことを気付く、一つの手段です。静寂が進むと、少しの音でも耳に入ってきます。風の音とか、いつでもあることに気が付くことそれが、大切なのです。今日は、城東高校の先生方のご希望もあって、オリエンテーションに坐禅を取り入れていただきました。城東高校に入学して、これから、3年間たくさんの出会いがあることだと思います。人生には、出会いということが連続してあります。まずは、家族、そして、友人、恩師、恋人多くの出会いを繰り返していきます。生まれて、15年間ですが、様々な人と出会って、今ここにいることだと思います。そのことに感謝いたしましょう。
人だけでは、ありません。本、音楽、動物、海に空自分を取り巻くすべてが出会いの対象なのです。人を含め、自分たちを取り巻くすべての者が、ここしかないというタイミングで私たちを新たな世界へと誘ってくれています。人と出会って、人をしり、花と出会って花を知る。考えたら、出会いの数だけ、自分自身の発見にもつながっています。私たちは、本当の自分を知るためにあらゆる出会いを繰り返しているのかもしれません。禅の言葉に「啐啄同時」という教えがあります。「啐」とは、卵からひなが生まれてくるとき、ひなが卵の中から殻をつつくこと。「たく」は、親鳥が外から殻をつつくことです。禅宗の修行では、師匠と弟子の関係ですが、皆さんは、ご両親、先生、そして、友人、その他であってきた人たちのことです。その中で大切なことは、一方だけが強く主張しては、この「啐啄同時」なりえないということです。
相手の立場に立って、相手と心を同じくしてく、確かに皆さんは、学校では、先生、家庭では、ご両親と、年上の人たちとでは、心を同じくしていくというより、教えてもらう立場かもしれませんが、お互いを信頼しあうこと、それもここを同じくしていくことです。友人関係も自分の主張ばかりしては、一方通行です。相手のことを思うには、自分の考えだけにとらわれることなく、相手に思いを向けることをする。これが、「思いやり」ということです。新しく高校生活が始まりました。これまで以上にたくさんの出会いがあると思います。その中で相手のすべてを見通すことは、できませんが、想像力をもつ、自分が行った言動、行動が、相手に伝わっただろうか?と考える。
失敗することも大いにあります。それは、勉強ですから、考え続けることが大切だと思います。言葉についてもこれは、適切だ、不適切だと言葉を分けて、それをやめるのではなく、相手に思いやりを持って言葉を放つこと、また、逆に言われたことを寛容に受け止めることができると素晴らしいですね。
最後に六波羅蜜(ろくはらみつ)という言葉があります。これは、我慢するということを教えている言葉です。
我慢には、しなければならない我慢としてはいけない我慢があります。
体の痛みや不具合は、我慢せず、早めに診療を受けましょう。
他人からの攻撃や、嫌がらせについては、上手な避け方を考えるとか、誰かに相談して力を借りることも必要です。毎日の生活の中にある様々な苦しさ思うようにならないことについてですが、心配しすぎではいませんか?または、逃げては、いませんか?
正しい目標があって、それに向かって進んでゆくとき、その道筋にあるむずかしさ、くるしさに負けないようにしたいものです。特に自分自身で選んだ道だったら、なんとしてでも我慢して続けてゆかなければなりません
これからの高校生活、いろんなことがあると思いますが、楽しみながら、自分のやるべきことをしていくことに心がけ、頑張ってください。
今日の坐禅体験はいかがでしたか?
坐禅を初めてした人は、どのくらいいますか?手をあげてみてください。
ありがとうございます。初めての体験というのは、とても、緊張してしまうものです。坐禅は、ただ、座って瞑想するものですが、坐禅を始めたときは、気持ちがざわついていることに気が付きましたか?それが、時間がたつにつれ、静寂した空気が、気になります。そして、自分の呼吸に気が付いてきます。皆さんは、当たり前に呼吸をしていますよね。呼吸をしなければ、苦しくなって、死んでしまいます。
坐禅は、そういったことに気が付くことを気付く、一つの手段です。静寂が進むと、少しの音でも耳に入ってきます。風の音とか、いつでもあることに気が付くことそれが、大切なのです。今日は、城東高校の先生方のご希望もあって、オリエンテーションに坐禅を取り入れていただきました。城東高校に入学して、これから、3年間たくさんの出会いがあることだと思います。人生には、出会いということが連続してあります。まずは、家族、そして、友人、恩師、恋人多くの出会いを繰り返していきます。生まれて、15年間ですが、様々な人と出会って、今ここにいることだと思います。そのことに感謝いたしましょう。
人だけでは、ありません。本、音楽、動物、海に空自分を取り巻くすべてが出会いの対象なのです。人を含め、自分たちを取り巻くすべての者が、ここしかないというタイミングで私たちを新たな世界へと誘ってくれています。人と出会って、人をしり、花と出会って花を知る。考えたら、出会いの数だけ、自分自身の発見にもつながっています。私たちは、本当の自分を知るためにあらゆる出会いを繰り返しているのかもしれません。禅の言葉に「啐啄同時」という教えがあります。「啐」とは、卵からひなが生まれてくるとき、ひなが卵の中から殻をつつくこと。「たく」は、親鳥が外から殻をつつくことです。禅宗の修行では、師匠と弟子の関係ですが、皆さんは、ご両親、先生、そして、友人、その他であってきた人たちのことです。その中で大切なことは、一方だけが強く主張しては、この「啐啄同時」なりえないということです。
相手の立場に立って、相手と心を同じくしてく、確かに皆さんは、学校では、先生、家庭では、ご両親と、年上の人たちとでは、心を同じくしていくというより、教えてもらう立場かもしれませんが、お互いを信頼しあうこと、それもここを同じくしていくことです。友人関係も自分の主張ばかりしては、一方通行です。相手のことを思うには、自分の考えだけにとらわれることなく、相手に思いを向けることをする。これが、「思いやり」ということです。新しく高校生活が始まりました。これまで以上にたくさんの出会いがあると思います。その中で相手のすべてを見通すことは、できませんが、想像力をもつ、自分が行った言動、行動が、相手に伝わっただろうか?と考える。
失敗することも大いにあります。それは、勉強ですから、考え続けることが大切だと思います。言葉についてもこれは、適切だ、不適切だと言葉を分けて、それをやめるのではなく、相手に思いやりを持って言葉を放つこと、また、逆に言われたことを寛容に受け止めることができると素晴らしいですね。
最後に六波羅蜜(ろくはらみつ)という言葉があります。これは、我慢するということを教えている言葉です。
我慢には、しなければならない我慢としてはいけない我慢があります。
体の痛みや不具合は、我慢せず、早めに診療を受けましょう。
他人からの攻撃や、嫌がらせについては、上手な避け方を考えるとか、誰かに相談して力を借りることも必要です。毎日の生活の中にある様々な苦しさ思うようにならないことについてですが、心配しすぎではいませんか?または、逃げては、いませんか?
正しい目標があって、それに向かって進んでゆくとき、その道筋にあるむずかしさ、くるしさに負けないようにしたいものです。特に自分自身で選んだ道だったら、なんとしてでも我慢して続けてゆかなければなりません
これからの高校生活、いろんなことがあると思いますが、楽しみながら、自分のやるべきことをしていくことに心がけ、頑張ってください。
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